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【私が学ぶ理由】面倒くさいは人類最大の敵だと思う

日々(エッセイ)

「面倒くさい・分からないことは放置しておく」
これって本当に恐ろしいことだと思います。

私の友人や兄弟にもこのタイプがいますが、とても甘え上手です。
周囲がなんとかしてくれた成功体験があるんですね。

それはそれで、ひとつの処世術としては良いと思います。
しかし、私たち子なしにおいては、取り返しがつかない事態を招きかねません。

面倒くさいと思考を放棄することの危険性

私の両親のケース

70代の父親は浪費癖が抜けず、既に退職金の大半を食いつぶしています。
見栄っ張りで、お酒にどれだけお金をもっていかれたことでしょう。

借金があった時代もあるので、支払った利息を思うと…。

そもそも虐待とまではいきませんが、物心つく頃には
「おとうさん、今日は機嫌悪い?」と顔色を伺う生活。

酔った状態で真剣な話ができるわけもなく、両親はお金のことでよく喧嘩していました。
子どもたちは狭い家で、火の粉が飛ばないようにジッとして過ごす。

今思うと、完全に時間の無駄です。
怒鳴りあって泣いて喚いて、カネが沸いて解決するわけでもなし。
子どもたちもストレスにさらされ、健全とはいえない生活。

同級生たちが勉強している受験や試験時期でもお構いなしなので、
子どもたちは大量の無為な時間を過ごすこととなり、それだけは今でも悔しく思いますが…。

まっ、安全な時間があっても大した大人にはならなかったことでしょう(笑)

親や環境・社会のせいにして嘆いても、
何も改善されないので無駄
なことですね。




そして、母親もどんぶり勘定。

口癖は「お母さん、そういうの分からないから」

思考を放棄しています。

その原因は父親の浪費癖。
節約して貯めたところで、全て持っていかれてしまうので「もういいや」に。

元々は真面目なひとですし、新婚の頃の家計簿も見たことがあります。
モラハラや浮気もあったので、共依存状態から諦念に至ったのかもしれません。

そしてピンチのときは、祖母に助けてもらったそう。

これだけ見ると実母は気の毒なひとなのですが、子どもたちにもその諦念を強要し、
父親の機嫌をとらせるために支配行動を取ったので、私は距離をおいています。

「子どもがいなければ離婚してた」という愚痴を散々聞いて育ったので、
末っ子の私は、「自分がいなければ…」とずっと思っていました。

ましてや結婚したのも離婚しないのも母の意思。男女の仲のこと。
今の私は冷たいもんです。知ったことではありません。


さて、話は戻って。

つまり、私の両親は
お金がない!と父親が母親に怒鳴りつけ(妻になんとかしてもらう夫)
祖母にどうにか助けてもらった(母親になんとかしてもらう妻)
ということです。


ろくでもない成功体験ですね。
子どもを大学に行かせたり、両親は両親なりに苦労し努力してきているので全否定する気はありません。
でも、なんとかしてくれた祖母の介護をしたのは、伯母たちです。



反面教師

父親は酔って暴言・暴力を振るう人間な時点で情はないので、どうでも良いのですが、
母は完全に悪人というわけではなく、彼女なりの事情があったと理解しています。

そこで、子どもたちが大人になり、知恵や力をつけ、どうにか助けたいと思っても

「おかあさんは馬鹿だから」「わからないから」「面倒くさいから」

もう、どうにも出来ませんでした。
母が悲しそうな表情を見せると、それ以上何も言えなくなってしまうんですよね。

そして最終的には「なんとかなるよ」と言うのです。



どうにかしようとしたのも、娘の傲慢なのかもしれません。
「自分が一番かわいそう」と不幸に酔いしれるのも、また一種の幸福ではありますから。

でも…でも…。

なんとかなったんじゃなくて、
おばあちゃんが「なんとかしてくれた」の間違い




実家の経済状況の把握

私はそんな両親を見ていたので、「絶対にこうはなるまい」と、
配偶者選びから、お金の勉強から、努力はしてきたつもりです。

そんな私ですが、不妊治療を諦めて少しずつ距離を置く前に、
娘としての最後の仕事と思い(兄たちは頼りにならないので、たぶん最後にはならないけど…)

時間をかけて固定費や医療費・保険の状況を聞き出し、遺族年金の制度を説明。
孫たちが成人するまでにかかる「お祝いやお年玉、プレゼント代」などを全て算出。
Excelで表にして渡しました。

孫の結婚祝いなど、気持ちよく渡したいでしょうからね。
まだ小学生ですが、これは渡すことが確定している金額なので、
孫に依存気味の母にとっては効き目があったようです。



子どもに財布事情を聞かれるのは、親にとってはプライドに関わる問題です。

実家の場合は子どもの前で、散々「お金がない」と喧嘩しているので隠しても無駄ですけれどね。

褒めておだてて、さらに母が使いやすいように簡単な項目だけの家計簿を作り…。

こうして、母が分かる範囲で、退職金の残りや資産状況を洗い出しました。

ここです。
母が分かる範囲のみの情報だというのが本当に恐ろしい。
父には「聞いても絶対に答えないし、機嫌が悪くなるからお金の話はしたくない」とのこと。何故、隠す?

夫婦別会計を否定するわけではないけれど、定年を迎えるころに
「実は借金がありました」なんてなったら、目も当てられないよね。
yoriんちの親みたいにね(ハハっ…)




「なんとかなる」=「周りがなんとかしてくれる」


財政状況を洗い出した結果は
「年金額が多めだから、贅沢しなければギリギリいけるだろう」といったところ。

今のまま贅沢すれば、最終的に破綻します。

おそらく、その時になんとかするのは私たち子どもでしょう。
ある程度の金銭面の負担(介護費ならですが…)は覚悟しています。


ところが、この現状を兄たちは知りません。

私がそのことを訴えても、ここでも登場します。あのセリフが。

そのときになって考えればいいよ。
なんとかなるよ。



お金は使い方次第


次兄に至っては、事あるごとに親から援助を受けています。

・結婚式の費用に始まり(これはご祝儀で返したようです)
・新婚旅行に行く費用。(兄嫁を気の毒に思った祖母からの旅費援助)
・兄嫁が子宮外妊娠で緊急手術した費用(その程度の額が出せない状況で、よく子ども作ったな…)

それを知った兄嫁が、高額療養費の払戻金だけでも返すように次兄に渡したそうですが、
次兄はポッケナイナイしました。

母と兄嫁に喧嘩でもさせたいのですかね。
(お金渡したのに何の沙汰もないとお互い思っていました。そりゃ知らないんだから仕方ない。借金発覚時に兄嫁がブチ切れて判明した)


でもクリスマスに4万円のコースの料理を食べに行ったり、週に1度は必ず外食。
毎晩の晩酌などなど…。

そして次兄一家に借金が発覚し、可哀想に、兄嫁が途中で財布の紐を握るようになったのですが、それまでは酷いもので、何かと親が補填していたのです。

そして甘え上手な次兄は、今でも食事をごちそうになったり旅行費をだしてもらったり。
(これは親の見栄や、気持ちもあるので否定はしませんが…)

でもこれって最終的に、他の兄弟が親を支援することになれば、
間接的に次兄一家への援助したことになりませんか。

次兄の家は家賃もなく、収入も悪くありません。
本当にお金は「使い方」次第なのだと思う典型例です。




「なんとかしてくれる子ども」はいない

私だって勉強や家計簿をつけることは面倒くさい。
正直、やりたくありません。

でも、私たちには老後に「なんとかしてくれる子ども」はいません。

つまり「面倒くさい・やりたくない」などと言って
思考を放棄することは許されないのです。


子育ては社会全体で!というのには賛成ですが、
次兄夫婦は子育てを理由に、経済的な負担を家族に頼ることが多く、結果的にその負担が私にも及ぶ可能性が高いという状況。

でも、私たちの老後は「子どもを育ててないんだから、自分でなんとかするのが当たり前」ですね。

独身や子なしへの風当たりは、皆さんもよくご存知でしょう。

ましてや、こんな世の中を見れば、甥や姪に頼れるわけもありません。
(それでも最後は絶対に誰かに迷惑をかけてしまうので、死後の処理をしてくれた人に、せめてお金を残せれば…と思っています)



他人は変えられない

このままでは、私は何世帯分の資金不足を負担することになるのでしょう。

幸い、夫はとても協力的。
夫婦で身の丈にあった暮らしを心がけ、自分たちの老後資金が貯めているわけです。
(私が専業主婦である理由は割愛しますが、ふたりで話し合って決めたことです)

それを面倒くさがって何もしないひとたちに食いつぶされるなんて
冗談じゃない!


私の場合、次兄にお金が流れており、親自体も浪費家。
そのため、親がどんなに困窮しても、ある一定までしか金銭面も労働面も援助はしないつもりです。

ここの線引きだけは間違えてはいけないと、強く危機感を感じています。


そして自分自身にかかる資金は自分で用意し、しっかり守らなければなりません。

そのため、学ぶことに対して、どんなに「面倒くさい」「なんとかなる」
そう感じたとしても、向き合わないといけない。そう思っています。

私たちには、その先で助けてくれる子どもはいないのですから。

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